2003年11月、初めての死亡保険金支払い【vol.2】

相続マーケティング研究所 むねお所長こと、
むねお所長は1999年、25歳の時に外資系保険会社に転職しました。
その後、2013年に退職して相続コンサルタントとして独立するまで、
約14年間保険パーソンとして過ごしました。
「保険パーソンの仕事で一番大切なのは何ですか?」
このように聞かれたら、あなたはどのように答えますか?
もし私・むねお所長がこのように聞かれたら、迷うことなくこう答えます。
「保険パーソンの仕事で一番大切なのは『死亡保険金の支払い』です」
今日は私・むねお所長にとって初めての死亡保険金の支払いのお話しの続きをしますね。
前回のブログ
をまだ読んでいない人は、そちらを先に読まれることをおすs

お金の心配をせずに死んでもいいのか?

「川口くん、それじゃあ私は
息子たちに迷惑をかけることなく、
お金の心配を一切することなく、
死んでいいんだね?」
そのように言ったお父さまに、私は
「はい、お金のことについては一切の憂いが無いように保険を設計いたしました。
なんのご心配も要りません」
と答えました。
お父さまは長く沈黙した後、こう言いました。
「ありがとう、本当にありがとう。
俺が死んでも息子と仲良くしてやってくれな。
息子は本当にいい友達を持ったな、うん」
私は答えました。
「お父さん、そんなこと仰らずに、1日も早く元気になって退院したらまたお家に遊びにいかせてくださいね。

3ヶ月後に届いた訃報

それから3ヶ月後、息子のMくん(=むねお所長の高校の同級生)から連絡が入りました。
日曜日の午前8時前の電話でした。
「昨日親父が亡くなったよ。
今日がお通夜で明日が葬儀だ。
俺が喪主を務めることになったよ」
私は頭が真っ白になりました。
その日のアメフトの試合のことは全く記憶にありません。
試合を終えて帰宅した私はシャワーを浴びて喪服に着替え、
お父さまのお通夜に参列しました。
友人のMくんは立派に喪主を務めていました。
私は会場の一番後ろの席に座らせていただきました。
お通夜の最中、私は泣きました。
涙を止めることはできませんでした。
嗚咽を堪えるのに必死でした。
参列者の中で親族以外に泣いていたのは、最後列に座っていた私だけでしたので、
他の方からは少し奇異な目で見られていたのかもしれません。
それでも私は泣くことを止めることをできませんでした。
お通夜、ご葬儀の数日後、死亡保険金受取人のMくんに、死亡保険金支払いの手続きをしました。
Mくんは
「川口、いろいろ世話になった、ありがとうな。
親父、すごくお前のこと褒めてたよ。
いい仕事してるな」
と言ってくれて、友人の前でまた号泣してしまいました。
これが私・むねお所長の、人生初の死亡保険金支払いの経験です。

保険の仕事と相続コンサルタントの仕事は似ている

久しぶりに初めての死亡保険金支払いのことを思い出して、
私はこのように感じています。

保険の仕事と相続コンサルタントの仕事は似ているな、と。

どちらの仕事も、一度クライアントに「死んでもらう」ところからスタートします。

「あなたが亡くなったらどんな問題が起きるか?

誰か辛い思いをする人はいないのか?

その時のために、今何をするのか?

一度真剣に考えてみませんか?」

という問いを立てるのです。
その上で、
・クライアントさえ気づいていない本当の問題を抽出し、
・問題解決のためのロードマップを描き、
・然るべき専門家と協業し、
・問題解決のための全方位的なサポートをする。
これが相続コンサルタントの仕事です。
天国のMくんのお父さまは、今の私の仕事ぶりをどのように見てくれているんだろう。
僕が知っている優しい笑顔で、今も
「川口くん、いい仕事してるな」
と言ってくれるだろうか?
お父さまの期待に背くことのない仕事を、
これからも続けていきたいです。

この記事を書いた人

川口 宗治

川口 宗治

株式会社ライブリッジ代表取締役。
1973年富山県生まれ。
25歳から39歳まで14年間外資系生命保険会社で
セールスとマネジメントに携わる。
2013年、40歳で独立し、ライブリッジ開業。
現在は「相続マーケティング研究所 むねお所長」
として相続ビジネスで成果をあげたい事業者に、
じわじわと確実に効果の上がる各種プログラムを提供している。
特に社員5人未満のスモールビジネスの方へのサポートが得意。
18歳からアメフトを始め、44歳までの27年間現役を続行。
趣味は焚火、スキンケア、カメラ。好きな飲み物はwhisky。